大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

松山地方裁判所西条支部 昭和51年(ヨ)29号 判決

債権者 山本修三

債務者 住友金属鉱山株式会社

主文

債権者の本件申請を棄却する。

訴訟費用は債権者の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  債権者

債務者が、債権者に対し、昭和五一年三月二六日付でなした、債権者を債務者会社別子事業所四阪工場今治詰勤務とする旨の意思表示の効力を仮に停止する。

二  債務者

主文一項と同旨。

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  当事者

(一) 債務者

債務者(以下、「債務者会社」ともいう。)は、従業員約四、〇〇〇人を擁する非鉄金属鉱石の採掘、製錬及び金・銀・銅・ニッケルの製造販売を主たる業務とする株式会社である。そして、四国には、四阪島製錬所、新居浜精製工場、東予製錬所などを有している。

(二) 債権者

債権者は、昭和一六年七月三一日愛媛県越智郡宮窪町大字四阪島に生まれ、昭和三二年四阪島中学校を卒業し、昭和三四年一一月債務者会社別子事業所四阪島製錬所(以下、「四阪工場」という。)ニッケル鎔錬係(職種鎔錬工)に臨時工として入社し、昭和三五年五月から社員(但し、三か月の試験雇)となり、同年八月一日から四阪工場工作係(職種製缶工)として常雇となつた。その後、昭和三六年五月からは同係運搬現場修理(職種機械修理工)、昭和三八年一二月からは同係ニッケル現場修理(職種直製機械修理工)、昭和四二年からは各現場修理の合併により機械修理工として働いた。

そして、昭和四三年九月から昭和四七年八月末までの間組合専従となり現場を離れたが、同年九月一日から右現場の機械修理工に復帰し、昭和四八年三月からは保全係(元工作係)倉庫に、また、昭和四九年四月一日から後述の配転がなされるまでは事務資材に勤務していた。

2  配転命令

債務者会社は、昭和五一年三月二六日付で債権者に対し、四阪工場今治詰への転勤を命ずる旨の意思表示(以下、「本件配転命令」という。)をなした。

3  本件配転命令の背景と本質

(一) 不況下における独占資本の搾取・収奪の強化と労働組合対策の特徴

完全失業者一二四万人(昭和五一年一月)企業倒産一、〇八八件(昭和五一年二月、帝国興信所調べ)など戦後最大の経済危機はいつそう深刻化している。不況・インフレをはじめとするこの経済危機がアメリカ依存と大企業本位の高度経済成長によつてもたらされたものであることはいうまでもない。すなわち、高度成長は、労働者と勤労国民に対する過酷な搾取と収奪、朝鮮、インドシナ戦争などアメリカのアジア侵略と特需への依存、外資と外国技術の導入、急速な海外進出、独占資本の大規模な蓄積を助ける国家財政、国家信用の全面的利用などを重要な条件として可能となり、そして、それが、さまざまな形態の貧困の蓄積、日本経済の自主的平和的発展の阻害と経済構造の畸型化、農業破壊、恒常的な物価上昇とインフレーション、都市問題、公害問題など人間と自然とのあいだの正常な循環関係の破壊など日本経済と国民生活に深刻な矛盾と困難をもたらしたのである。こうした高度成長の過程を通して大企業は日本経済における支配力を強め、世界資本主義のなかでの地位を相対的に向上させたのである。

これら日本の大企業の高度成長をささえた基本的要因の一つが、労働者に対する過酷な搾取と収奪であることは前述のとおりであるが、このような労働者に対する搾取と収奪、支配と抑圧はとりわけ大企業内部においてすさまじいものがあつた。多数の社外工、組夫、パートタイマーの導入など前近代的な労務管理の手法を引き継ぎつつ、とくに重化学産業の大企業内部では、反共主義、反共攻撃を基軸とするアメリカ式労務管理、思想差別、労働組合幹部の抱き込みなどの諸攻撃が系統的に行なわれた。そして、大企業の内部では、憲法や労働諸法規は通用しない、とまでいわれる状態が現出したのである。

一九七三年の石油危機を契機とする今回の経済危機のもとで、不況打開をめざす自民党政府と大企業の政策はより一層反国民的、反労働者的になつている。

(二) 東予地区における住友資本の蓄積と労務政策

東予地区、新居浜市における住友化学をはじめとする住友資本も、一九六〇年代から七〇年代前半にかけて急速な資本蓄積を行なつてきた。

こうした住友の発展が、住友とその下請企業の労働者に対する搾取と収奪の徹底した強化と職場の専制支配体制の確立によつて保障されたことはいうまでもない。そして、この反労働者的労務管理の中核をなすものが共産党員やその支持者に対する直接の差別と弾圧である。それは、第一に、共産党員や活動家に対する尾行や張込み、そして直接の脱党工作、第二にいわゆる職場八分の攻撃、第三に昇給、昇進その他労働条件での差別などである。

現在の経済危機に突入して以降、住友資本による労働者への犠牲転嫁は、より露骨になり、全国的水準からみても極端に低い賃上げ(実質賃金の切下げ)が押しつけられるとともに、大規模な人べらしが進められつつある。

(三) 債務者会社における資本蓄積と合理化、思想差別

債務者会社は、昭和三五年、安保条約改訂にともなう貿易、資本の自由化の進展に応じ、国内鉱山の閉山、縮小をはじめとする合理化を相次いで行なつてきた。とくに昭和三七年から三八年の自立再建計画という名の人べらし合理化では、三七年一〇月一日には八、一六〇人であつた社員数が翌年一二月一〇日には五、三五二人となり、二、七六四人(三四パーセント)も減員した。これ以降、債務者会社は急速な資本蓄積を実現した。昭和三七年下期売上高一一九億円、総資産三三五億円だつたものが、昭和五〇年上期にはそれぞれ六六六億円(五・六倍)、一、九一八億円(五・七倍)になつた。また、主要生産品である電気銅生産量は、昭和三七年度四万三、一九〇トンから昭和四九年度一四万五、四二八トンへと三・四倍にのびた。これらの成長は主に別子銅山をはじめ国内鉱山の閉山、縮小と海外資源の確保、東予製錬所など臨海大型製錬所の拡充、鉛、亜鉛製錬、金属加工、建材など、新規部門内への進出などによってもたらされたものであるが、これをささえたのは、他産業に比べても低い賃金と長時間労働など労働者からの搾取強化と財政投融資をはじめ国家財政による保護であつた。

高度成長期における債務者会社の労務政策の特徴は、戦前からの身分制度にもとづく労働者間の分断を新たな職制支配のなかで再編することや、社外工の大規模な導入など前近代的な労務管理を引き継ぎつつ、目標による管理、社内報、QO、社内教育制度などアメリカ式労務管理をそれに結合させるところにある。

とくに、昭和四〇年前後から、債務者会社は、中間、下級職制に対する教育とその地位権限の確立とに重点をおいてきている。教育の主要な内容は、会社経営の内容や近代的労使関係のあり方など労資協調思想の注入にあるが、同時に、反共産党教育もとり入れられている。極東事情研究会など反共教育団体の主催する研修に下級職制や労務担当者を参加させるとともに、昭和四二年から行なわれた監督者基礎教育(通信教育)には特別に共産党対策の内容が入れられ、昭和四三年からは新任監督者教育に共産党対策の講義がおりこまれた。そして、共産党員に対しては昇給、昇進での差別のほか、別子銅山閉山後の職場に共産党員を押しこめる、一人職場に配転する、組合の役員選挙に際し選挙運動を制限するなどの直接的攻撃がおこなわれている。

戦後最大といわれる不況に突入してからは、別子事業所においては、昭和四九年一二月「非常減産措置」と称する合理化が強行され、臨時工、社外工の解雇、減産と残業規制がおこなわれたが、とくに昭和五一年に入つてからは、就業規則違反を口実とする労働者への懲戒処分を乱発する労務管理がおこなわれている。夜勤あけの労働者を労務担当者や職制がつるしあげ、希望退職届に捺印させて会社を辞めさせるといつた事態も生まれ、さらに職場の共産党員に対して、勤務中、職務に精励しなかつたことを理由に訓戒処分を押しつける攻撃も加えられている。

(四) 本件配転命令の本質

公然たる共産党員である債権者に対する本件配転命令は、これまで債務者会社が一貫しておこなつてきた反共主義にもとづく思想差別の一つであり、同時に、経済危機のもとで、労働者に犠牲を押しつけることで、この危機を打開することをねらつた人べらし合理化(三月三一日債務者会社提案)を直前にして、四阪工場から組合活動家である債権者を排除し、人べらしをより容易に推進させるねらいをもつたものである。

4  本件配転命令の無効

本件配転命令は、次の事由により無効である。

(一) 不当労働行為

(1) 債権者の組合活動等

(イ) 債権者は、別子労働組合(以下、「別労組」という。)の組合員であり、

昭和三六年九月 別労組製錬支部青年婦人部職場委員

昭和三八年九月 別労組青年婦人部製錬支部執行委員

昭和四〇年九月 別労組青年婦人部製錬支部副部長

別労組製錬支部委員

昭和四一年九月 別労組代議員

別労組青年婦人部副部長

別労組製錬支部青年婦人部長

昭和四二年九月 別労組代議員

別労組青年婦人部長

別労組製錬支部青年婦人部長

昭和四三年九月 別労組製錬支部書記長(組合専従)

別労組代議員

昭和四五年九月 別労組製錬支部書記長(組合専従)

別労組代議員

を歴任した。

(ロ) 右製錬支部には、規約上の団体交渉権はないが、職場協議会が設けられており、賃上げ等団体交渉において取り上げられるべき問題以外の事柄は殆んどがその協議事項となつている。債権者は、書記長在任中、右協議会に労働者の代表として出席し、労働者の各種要求を実現させた。そのほか、書記長として、職場協議会にすらかからない職場の問題について、自己の判断で債務者会社と交渉し、常に労働者の利益をはかつて処理してきた。

ここに、債権者の主な活動を列記すると、次のとおりである。

(a) 昭和三八年から三九年にかけて合理化が行なわれた際、債務者会社から希望退職、子会社や関連会社への転出、出向等の提示があり、組合執行部はこの問題について条件闘争を提案したが、これに対して、債権者は、全員集会において、このような大合理化に条件闘争で取り組むことは職場に大混乱をおこし、後に残る組合員にも大きな不安感を与えるとして合理化白紙撤回を主張して闘つた。

(b) 昭和四二年頃、当時四阪工場鎔鉱炉、転炉から出る亜硫酸ガス等が、職場はもとより社宅方面へも流れ出し、のどの痛みを訴えたり、ぜんそくになつたりする住民が続出したため、債権者は、別子病院四阪島分院勤務の看護婦の協力を得てぜんそく患者やのどの痛みを訴える人達の数・症状等の調査を行ない、組合として対策をとるよう要求した。

(c) 昭和四二年ころから、債権者は、四阪島において、労音、労演の四阪サークルを結成し、これを指導してきた。

(d) 昭和四四年四月、当時別労組製錬支部青年婦人部で発行していた「製錬情報」の日刊紙化を決定し、その後「日刊せいれん」と名称を改め、債権者がその編集発行を指導した。「日刊せいれん」は、債権者が組合専従を終えて職場に復帰する昭和四七年八月まで毎日発行され続け、職場の各種要求を掘り起こすとともにその実現化を勝ちとつた。

(e) 昭和四四年六月頃、債務者会社がその独身寮にカウンセラーを設置することを提案し、業務命令まで発してその強行をはかつたのに対し、債権者は、これは「青年を骨ぬきにする手」であるとして、労働基準法第九四条等を引用するなどして反論し、債務者会社との交渉を行ない、結局、債務者会社にカウンセラー設置を断念させた。

(f) 昭和四五年から四六年にかけて、再び合理化問題がおこつた際、債権者は、合理化対策委員会を設置するなどして債務者会社との交渉にあたり、職場の意見を反映させ、一定の成果を得た。

(ハ) 債権者は、昭和四七年八月、昭和四九年八月、昭和五一年八月の組合役員選挙に立候補して闘つた。

(ニ) 右昭和四七年八月の役員選挙に敗れて職場に復帰することになり、債務者会社から保全係事務所検査班に行くよう指示されたが、労働協約でうたわれている原職(債権者の場合は現場の機械修理工)復帰を要求し、勝ちとつた。

(ホ) 債権者は、前記組合役員の座を離れた後も、個人的に労働者の相談にのつたりして、労働者の権利を守る活動を続けた。

(2) 債権者の組合活動等に対する債務者の対応

債務者は、右(1)の債権者の活動に対して、次のような妨害等をした。

(イ) 前記公害調査に対しては、別子病院に圧力をかけ、債権者に協力した同病院四阪島分院勤務の看護婦を同病院本院に転勤させた。

(ロ) 「日刊せいれん」の配布に対しては、これをやめさせようと、雨天時における会社建物内での配布を妨害するなどした。

(ハ) 労音、労演などのサークル活動に対し、「労音、労演は『アカ』の集まりだ。」、「山本は会員を集めて教育している。」などのデマを流した。

(ニ) 組合役員の選挙等について、次のような妨害がなされた。

(a) 昭和四七年八月の役員選挙において、債務者は、支部長に大川勝、副支部長に山岡兼道、書記長に菅野忠を当選させるため、昭和四七年四月ころから、同年八月の役員選挙までの間、下級職制大川勝、一瀬明、鈴木敦美らを使い、会社従業員に対し「大川、山岡、菅野に入れなければ昇給は最低だ。」「選挙管理委員会をにぎつているので誰に投票したかわかる。」「自分達の言うことをきけば、新居浜に転勤させてやる。」などと申し向けて大川らに対する投票依頼を行なつた。

そして、また、「山本は共産党だ。」「山本とはつき合うな。口をきくな。あいさつするな。」などと言って債権者を他の従業員から孤立させ、その当選を妨害しようとした。

更に、投票日には、投票の秘密を守るため投票台に設置されていた段ボールの区切りを撤去し、二つあつた投票台を一つにしてしまい、会社の意を受けた一部の選挙管理委員が監視できる体制の中で投票させた。

そして、前述の下級職制らが職場をまわり、選挙管理委員会から誰が投票していないかを聞き、投票していない者に対し、これを投票所に連れて行くなどして投票を強制し、「誰に入れたかは選挙管理委員が知っているぞ。」と言って脅したりした。また、開票に際しても、選挙管理委員会は、開票場所を組合事務所から会社施設内に移し誰も入れないようにして開票した。

(b) 同月続いて行なわれた支部委員の選挙においても、債務者は、下級職制を使つて、「山本へは投票するな。」「山本は共産党だ。」などと言いふらし債権者が当選するのを阻止しようとした。

(c) 昭和四九年四月一日、債権者は右保全倉庫より四阪工場事務資材に配転され、同日、渕本係長のもとに辞令を受取りに行つたところ、同係長は、勤務時間中にもかかわらず、部長室において債権者に対し、「君の今迄の経歴や活動は調べてわかつている。今後あまり派手にやらんようにしてくれ。」「家族のためにも考える必要があるのではないか。思想的にも君のことは全部わかつている。」などと言い、債権者に組合活動をしないよう圧力をかけた。

(d) 同年五月、債権者の上司である加藤千尋係員は、債権者に対し「君の昇給が低いのは、組合活動に問題があるのだ。君はそのことを考えないのか。他の者より仕事ができるのにばからしいとは思わんのか。」「共産党はいかん。」などと言い、債権者に組合活動をやめさせようとし、更に「八月の役員選挙に出るのか。」「どのポストに出るのか。」などと暗に同年八月に行なわれる役員選挙に立候補しないよう申し向けた。

(e) 同年八月、役員選挙の一週間くらい前、下級職制調査係鈴木敦美は、勤務時間中に「会社から時間をもらつている。」と言つて、債権者に対し、「今度の役員選挙に出るのか。この前(昭和四七年八月の役員選挙)のようなまずいことが出ないようにお互い話し合つて対立候補を出さないでやつたらどうか。」「会社あつての我々だ。話し合つてスムースに役員選挙を運べば混乱はおこらない。」「君は共産主義の思想を持つているが、会社では通用しない。」「君の将来のために出ない方がいいのではないか。」などと述べ、債権者の立候補を断念させようとした。

(f) 同年八月の役員選挙の投票に際しては、いわゆるアベック投票(会社側の監視として職制が一般の組合員と一緒に投票すること)が行なわれ、また、「山本とは口をきくな。つき合うな。」というおどしが、継続的に職制から従業員に対してかけられていた。

(g) 昭和五一年八月の役員選挙に際しても、債務者は債権者の当選を妨げるため、対立候補への職場推薦署名の強要、債権者が配布するビラの受取拒否の指示、アベック投票、グループ投票の実施などを行なつた。

(ホ) なお、昭和四八年三月、当時支部委員であつた矢野文敏が電子金属事業部(東京)へ転出することになり、同人の転出によつて、前記(ニ)の(b)の支部委員選挙で次点であつた債権者が繰り上げ当選となる筈のところを、債務者は、前記原職復帰後僅か六か月しか経つていない債権者を一人職場である保全係倉庫へと転出させ、債権者の繰り上げ当選を妨害した。

(3) 債権者以外の組合活動家に対する妨害等

債務者は、債権者以外の組合活動家に対しても、例えば、山口茂や加藤勝俊の選挙運動を制限、妨害する等種々の妨害差別を行なつている。

(4) 今治詰の設置等についての疑問点

(イ) 債務者は、今治詰の設置理由について、これまで代理店業務をしていた株式会社吉忠本社(以下、「申請外会社吉忠」という。)が赤字経営を理由に、代理店業務の返上の申し入れをしてきたためと主張している。しかし、右代理店業務については、債務者から申請外会社吉忠に対して運賃収入の三倍余りの補償金が支給されており、返上する理由がないこと、申請外会社吉忠において、赤字対策として十分な措置を取つていないこと、債務者においても、申請外会社吉忠に代わるべき業者を真剣に探した形跡がみられないこと、債務者が今治詰を維持することにより、毎月二〇万円ないし三〇万円近くの赤字を抱えこむようになることなどから考えてみると、債務者のいう申請外会社吉忠からの代理店返上、今治詰設置の必要性には数多くの疑問がある。

(ロ) 人選基準についても、四阪工場勤務者のなかには今治に自宅を有し、今治詰に通勤可能な者は数多くいるし、また、自ら今治詰勤務を希望している者も数人あり、それらの者を配転すればよいのに、あえて、生まれて以来四阪島で生活し、家族全員同島に在住しているうえ、四阪工場において活発な組合活動を続けてきた債権者を選んでいる。

(ハ) 時期的にみて、債務者から昭和五一年三月一二日に今治詰設置の提案がなされてから、債権者に本件配転命令の内示があるまで僅か一週間しか経過しておらず、この時期は債権者が既に立候補を表明している同年八月の組合役員選挙を目前に控えた時期であり、しかも、債務者は、本件配転命令発令直後の三月三一日人員整理を基調とする新たな合理化案を発表している。

(ニ) 今治詰は、従業員一人(債権者)、パート一人の職場(配転前の職場は約三五〇名)で、しかも午前九時から午後九時までの一二時間勤務(配転前の職場は午前八時から午後四時一五分まで)、年間六五日の指定公休制(配転前は年休八六日)という労働条件にあり、債権者の組合活動は事実上全く不可能である。

(5) 以上の(1)ないし(4)の諸事実を総合して勘案すれば、本件配転命令は、債権者の正当かつ活発な労働組合運動を嫌悪した債務者が、役員選挙への立候補を妨げ、今後の組合活動を妨害し、かつ新たなる合理化を推進するために債権者を四阪島から排除しようとたくらみ、何ら設置の理由も必要もない今治詰をことさらに設置したうえで発令したものであつて、不当労働行為として労働組合法第七条第一号、第三号に該当し違法無効である。

(二) 思想差別

(1) 債権者は昭和三六年四月、日本民主青年同盟に加盟し、昭和三八年一月日本共産党に入党し今日に至つている。

そして、4の(一)の(1)で述べたように組合役員を歴任し、四阪工場において一貫して労働者の利益を守るため献身的な活動を続けた。

(2) これに対し、債務者は、3で述べたように職員に対して反共教育を行ない、昭和四一年ころには、債権者を要注意人物として、債務者の所謂ブラックリストに掲記すると共に、職制を使い、他の従業員に対し、「山本はアカだ。」「山本は共産党だ。」「山本とは口をきくな。つき合うな。」などと差別を続けたのみならず、本件配転命令までにも何度も不当な配転をくり返し(特に原職復帰後わずか六か月で一人職場である倉庫係へ配転し、更に一年足らず後には事務資材に配転している。)、昇給は常に最低にとどめるなど債権者の思想信条を嫌悪し差別し、各役員選挙においては、債権者の当選を阻止すべく極めて悪質な選挙干渉を加えた。

なお、債権者は、昭和五一年八月に行なわれる役員選挙には再度立候補する決意であり、このことは既に表明してあつた。

債権者は、宮窪町議会議員選挙に日本共産党公認で立候補することを決意し、昭和五〇年三月初旬ころ別労組の越智久隆委員長に対し今後日本共産党別子支部として活動していくこと及び同年四月に行なわれる宮窪町議会議員選挙に日本共産党公認で立候補することを表明したが、これを知つた債務者は、「山本とつき合うな。口をきくな。」と下級職制を使つて差別したのをはじめ、選挙戦に入るや、組合員を半強制的に他の候補者の応援に行かせ、「山本は二〇票くらいしかとれん。」「当選しても落選しても他へとばす。」と噂を流し、また債権者の選挙事務所(社宅)の監視をし、応援にかけつけた労働者に対しては翌朝会社へ出勤すると呼びつけて「昨夜山本の家へいつたろうが。お前のためにならんぞ。」などと脅すなどして債権者の選挙運動を妨害した。

(3) 債権者は、昭和五二年二月に行なわれる宮窪町議会議員補欠選挙(欠員二名)に再び日本共産党公認で立候補する決意で、同党公認手続もすませ、立候補準備活動を行なつていた。債務者もそのことは当然了知していた。

(4) 債務者は、債権者に本件配転を命じた直後の昭和五一年三月三一日前述の如く合理化案を発表し、新たなる人べらし合理化を推進しようとしている。しかし、債権者の思想、信条及びこれまでの活動からすると、このまま債権者を四阪工場に勤務させておけば債権者が中心となつて労働者を組織し、右合理化に反対し抵抗することが当然予想されていた。

(5) 以上のような事情のもとで強行された本件配転命令は、債務者が債権者のかかる思想、信条を嫌悪し、町議選立候補の妨害、組合弱体化のねらいをもつてなされたもので、憲法第一四条、労働基準法第三条の均等待遇に違反し違法無効である。

(三) 配転権の濫用

(1) 配転などの業務命令権(指揮命令権)の法的根拠、範囲についてどのような解釈をとるか見解のわかれるところであるが、それが無条件無制限に認められるものでないことは争いがない。

特に配転については、それが労働の場所、労働の種類、内容を変更するものとして労働者の生活環境に極めて重大な影響を及ぼすものである以上、全く使用者の自由に任され勝手に行使し得るものではなく、そこには当然合理的な制約が存するというべきである。

(2) そこで本件についてみてみると、

(イ) 今治詰設置については、4の(一)の不当労働行為の項でみたように、その設置の理由も必要性も極めて疑わしい。

(ロ) 債務者の提示した人選基準は「四阪工場勤務者の中から経験伎倆身体条件および家族数を勘案して適格者を人選する。」というもので、その基準が極めて不明確であるうえ、四阪工場における業務内容と全く異なる内容の今治詰業務に従事する者を選ぶにあたつて「経験伎倆」をあげるなどその基準が不当である。

なお、債務者は、今治詰の仕事は事務能力が必要であるとして人選の対象者を四阪工場事務勤務者に限定しているけれども、実際には格別な事務能力は必要ではない。また、身体条件にしても、それを特に考慮しなければならない程の過重な肉体労働でもない。

(ハ) 今治詰の人選にあたつては、右に述べた如く経験伎倆云々よりも自宅から通勤可能か否か、希望しているか否かなどが重視されるべきであり、現に四阪工場勤務者の中には今治詰に通勤可能な今治在住の労働者は数多くおり、かつ自ら希望している者も数名あるにもかかわらず、ことさら債権者を選んでいる。

(ニ) 債務者が今治詰設置の件を組合に提案してから本件配転命令を債権者に内示するまでの間は僅か一週間と極めて短期間であつて、人選にあたつて公平な立場での慎重な考慮がなされたとは思えず、当初から債権者を選んでなされた配転と考えられる。

(ホ) 本件配転命令は一方的な命令で、債務者は、債権者の同意を得るべく真摯な努力をしていない。

(ヘ) 今治詰における債権者のための社宅は、押入れは半間のものが一つしかなく、荷物が入りきらないため、債権者は四阪島の社宅に半分ぐらいの荷物を残してこざるを得ず、日々の服装にすら不便を感じている。

(ト) 債権者は四阪島に生まれて以来同島に居住し、昭和三四年に債務者に雇傭されるに際して、配転命令に応じる旨の包括的な同意を与えたことはなく、入社以来本件配転命令まで四阪工場に勤務しており(しかも昭和四九年四月の配転で事務資材に移るまでは現場の工員であつた。)、同島を離れて勤務し生活することなど全く予想していなかつた。この点、将来会社の幹部となることが予定され、各職種を経験する必要があるとされている、いわゆる大卒事務系社員とは異なつており、四阪工場勤務の四級以下の従業員(債権者は六級である。)が四阪工場以外の場所に転勤を命ぜられると云うことは、合理化や新工場設立に伴う異動の場合を除くと、今までなかつたことである。

(チ) 今治詰は、いわゆる一人職場であるうえ、年間六五日の指定公休制、勤務時間は午前九時から午後九時までの一二時間という全く奴隷的扱いであるため、債権者は、他の従業員との接触や組合活動などをすることができず、家族と一緒に夕食をとることもできず、毎日仕事が終わつて社宅に帰れば疲労困憊のあまり就寝する以外になく人間としての文化的な生活もできない状況にある。

(3) 以上の諸事実を総合すれば、債務者のなした本件配転命令は業務上の必要もなく、人選基準も不明確かつ不当でことさらに債権者を選んでなされたものであり、また債権者のこれまでの勤務状況、職種、組合活動、日常生活、家庭事情などを全く無視し、債権者に重大な不利益を強いるものであり、配転権に内在する合理的制約の範囲を逸脱したものとして配転権の濫用と言わざるを得ず、無効である。

5  保全の必要性

債権者は現在本件配転命令にやむなく従つて今治詰において勤務しているが、このままでは今後の日常的な組合活動すら極めて困難な状況にあるのみならず、債権者は、一人職場で極めて非人間的な日日を送ることを余儀なくされているうえ、債権者の家族(母、妻、五歳と三歳の子)も、知人も少ない今治での生活の中で精神的にも苦痛を強いられている状況にある。

よつて、仮処分によつて、緊急に原状に回復する必要性がある。

二  債務者の答弁

1  申請の理由1(当事者)および2(配転命令)の各事実は認める。

2  申請の理由3(本件配転命令の背景と本質)は争う。

3  申請の理由4の(一)(不当労働行為)のうち、(1)の(イ)(債権者の組合役員歴)の事実は認める。(1)の(ロ)(債権者の組合活動等)のうち、(d)に記載の日刊せいれんの存在は認め、その余の各事実は争う。(1)の(ハ)(債権者の組合選挙立候補)のうち昭和四七年八月および昭和四九年八月の組合役員選挙に立候補したことは認める。(1)の(ニ)、(ホ)の各事実は争う。(2)の(イ)(看護婦の配転)、(ロ)(配布妨害)、(ハ)(サークル活動の妨害)の各事実は否認する。(2)の(ニ)(選挙等の妨害)の(a)、(b)は否認し、(c)のうち、債権者の配転の事実は認め、その余の事実は否認し、(d)、(e)の事実は不知、(f)、(g)の事実は否認する。(2)の(ホ)のうち、矢野文敏と債権者の転出の事実は認め、その余の事実は否認する。(3)(債権者以外に対する妨害等)の事実は否認し、(4)(今治詰の設置等についての疑問点)のうち、(ニ)に記載の労働条件は認め、その余の事実は否認する。(5)(不当労働行為に該当)は争う。

債務者は、不当労働行為の主張に対して、以下のとおり反論する。

(一) 昭和三八年から三九年の合理化に対する白紙撤回闘争について

昭和三八年からの合理化については、債務者と住友金属鉱山労働組合連合会(以下、「住鉱連」という。)とが交渉に当たつたもので、住鉱連傘下一単組の別労組の一支部の青年婦人部の執行委員でしかない債権者が、合理化白紙撤回を債務者に主張し得るものではない。債権者の主張は、組合の民主主義的決定のルールを踏みにじる不遜な独断である。

なお、ここで組合の組織について触れておく。

まず、債務者会社の従業員で組織する組合について述べると、それは、別表のとおり、その最上部に前記住鉱連があり、住鉱連は単一労働組合たる国富、東京、大阪、佐々連、別子の各労働組合で構成される労働組合連合体である。そして別労組の下部組織としては、別表記載のとおり製錬支部外一二の支部が存在する。

つぎに支部の役員について述べると、一三支部の役員には支部長、副支部長、書記長各一名を置くが、このうち組合員一〇〇人未満の支部には副支部長は置かない。支部委員は各支部において組合員一五名当り一名の割合において選出されるが、この支部委員は支部委員会の構成員となる。支部委員会は組合員六〇名当り一名の割合による代議員を選出するが、組合員六〇名未満の支部では支部長が代議員を兼ねることとなつている。なお、各支部には、三〇歳までの男子と女子組合員とによつて構成される青年婦人部があり、別労組にも同様青年婦人部が構成されており、それぞれ部長、副部長各一名が置かれている。

そして、組合員資格は一級から八級までの従業員であるが、労務担当従業員のみ除かれる。ところで、債権者は、六級にあつて、入社以来別労組の製錬支部にその籍を置いていた。

(二) 寮のカウンセラー設置と昭和四五年からの合理化問題について

債務者会社と別労組の労働協約により、支部に関する事柄については、支部と債務者会社からなる職場協議会において協議することになつており、支部としての交渉権は一切ないし、この協議の性格も債務者会社が職場社員の意向を打診するというものにすぎない。

債務者はカウンセラー設置に関する職場協議会での協議の結果、カウンセラーにかえ、各寮に舎監を置き今日に至つているし、支部の合理化問題についても職場委員会において協議し解決したもので、合理化対策協議会と交渉の事実はない。

(三) 原職復帰について

組合専従であつた者が職場に復帰する場合は原則として原職に復帰することになるが、従前から原職へ復帰する例はむしろまれであり、組合専従の期間等を考慮し、組合での仕事と職場での仕事とが急激に変わらないよう本人の意向を打診して職場を配慮しているのが通常である。

債権者の場合も、職場復帰時に検査班に一名欠員があつたこと並びに組合での四年間の仕事がデスクワークであること等を考慮して、現場修理の仕事よりも工事指令書、発注書、検収書等の発行業務を行なう検査班の方が良いであろうとの判断のもとに、債権者に対して意向を打診したものであつて、指示というようなものではない。

(四) 人選までの経過について

債務者は四阪工場今治詰設置方針決定後、昭和五一年三月一一日人事課より別労組製錬支部との職場協議会に協議を申し入れて、三月一八日に至り特殊勤務手当を格上げ支給することで了解に達したが、この間、債務者は申請外会社吉忠との関係で期限が定められているため、協議と平行して人選を行なつており、組合並びに職場協議会との了解後、一九日に内示を行なつたものであるが、これは通常の辞令発令と比較して決して期間が短いものではない。

(五) その後の退職者優遇措置との関連について

債務者は、同年三月三一日退職者優遇措置を発表したが、これは退職者優遇期間中に退職した者について退職金のほか優遇金を支払うというもので、退職強要は一切行なわないものである。退職者優遇措置と本件配転命令とは全く関係がない。債権者が四阪工場にいることにより、退職者優遇措置が実施できないというがごときは、債権者の地位、力量を過大評価すること甚だしい。

(六) 債権者が別労組製錬支部の役員を歴任したとしても、一単組である別労組の、交渉権もない一製錬支部において債務者会社と交渉を行なえる筈がないのであるから、債権者が組合活動を行なうことについて、債務者がこれを嫌悪すべき理由は何もない。また、債務者が債権者の組合活動を妨害した事実もなく、人選等について債権者を不利益に取り扱つた事実もないのであるから、本件配転命令が労働組合法第七条第一号、第三号に該当する不当労働行為ではないことは明らかである。

4  申請の理由4の(二)(思想差別)のうち、(1)(債権者の思想等)の事実は不知。(2)(債務者の干渉等)の事実のうち、債権者が昭和五〇年四月の町議選に立候補して落選した事実は認めるがその余の事実は否認ないし不知。(3)(昭和五二年二月の町議補欠選挙についての債権者の決意、活動)の事実は不知。(4)のうち、債務者が昭和五一年三月三一日合理化案を発表した事実は認め、その余の事実は否認する。(5)(思想差別に該当)は争う。

なお、債権者の過去の配転について言えば、当時の職場慣行では、数か月間隔で現場修理要員の定期異動がなされていたのであり、債権者だけが転転と配転されたのではない。昇給についても、債権者の同期入社時の者と比較し、差別に該当するような額ではない。

前述のとおり、債務者が債権者を嫌悪し差別する必要性はないのであるから、債務者は、債権者の思想信条を嫌悪したこともないし、そのために債権者を配転したものでもない。

5  申請の理由4の(三)(配転権の濫用)のうち、(1)は認め、(2)の(イ)は否認し、(ロ)のうちの人選基準は認め、その余は争い、(ハ)、(ニ)、(ホ)は否認し、(ヘ)は不知、(ト)のうち、債権者が四阪島に生まれ居住勤務していたことは認め、(チ)のうち、労働条件は認め、その余は争う。(3)は争う。

配転権濫用の主張に対して、次のとおり反論する。

(一) 配転については、それが労働者の生活等に重大な影響をもたらすことがあるため、無制限に許されるべきものでないことは債権者の主張するとおりであるが、本件の場合は債務者と労働組合との協約により、係内分担変更に該当するものであり一般の配置換えとは性格を異にしており、しかも配転の必要性が債務者の事業遂行上だけでなく直接四阪島住民一、〇六〇人の生活に関係するものであり、人選についても後記のとおり、債権者がもつとも適格者であり、他に適格者がいないこと等の理由からみて、配転について何ら違法はなく、正当な人事権の行使である。

(二) 債権者と債務者との間には、格別の労働提供の場所を指定する合意もなく、また四阪工場からの配置転換、転勤は特に大学卒業者に限つたことではなく、過去五年間においても昭和四七年二二名(内東京五名)、昭和四八年三三名(内東京一三名)、昭和四九年四名、昭和五〇年一名、昭和五一年現在六名(以上出向した者を除く。)がおり、当然債権者にも配転の可能性を予想しえたものであり、債務者会社内の慣習となつている。

右のように債務者と債権者との間には労働提供場所に関する合意がなく、配転に関する慣習があり、現に配転が行われている状況で、特に債権者は特殊技能も有していないのであるから、配転に関する黙示の同意があるものと考えるべきである。

(三) 今治詰の労働時間は一二時間ではあるが、実質の労働時間は五時間未満であり、一日の取扱貨物量は一〇から二〇個程度であるので債権者とパートタイマー一人で充分であり、更に特殊勤務手当の支給により従前より月額一万七、四〇〇円の増額という経済的な面を考慮しており、単に時間の延長面のみをとらえ、奴隷的取扱いとの主張は根拠がない。

6  本件配転命令には何らの違法もない。以下にその理由を述べる。

(一) 配転の必要性

四阪島は、人口一、〇六〇人、今治、新居浜からそれぞれ二〇キロメートルの沖合に存在し、そこには債務者会社の四阪工場がある。この島民の今治、新居浜への交通ならびに生活諸物資の運送は、申請外惣開商運株式会社が行なつているが、同会社は各港における貨物の受渡しに関する業務を行なつていないため、債務者は島民の生活福祉と便宜のために申請外会社吉忠との間で、この貨物の受け渡し業務を委託することを内容とする業務委託契約をして右の業務を行なつて貰つていた。

ところが、ここ数年来、人口は減少し貨物の数量も激減したため申請外会社吉忠の同部門は採算がとれなくなり、同会社は債務者に対し、再三にわたり契約破棄の申入れを行なうようになつた。このため債務者は委託業務の内容が一、〇六〇人の島民の死活にも影響するため、委託料の引上げをなし極力業務の継続を求めた。しかしながら採算は悪化の一途をたどり、昭和五〇年一一月同会社から昭和五一年三月三一日をもつて契約を打ち切る旨の通知を受け、右の経過にかんがみ、債務者においてもこれを了承の外なく受け入れた。しかし、この業務は一日たりとも放置することができないため、他にこの業務の取扱いをする業者もなかつたので、四阪工場において直接この業務を行なうことにし、今治、新居浜に各詰所を設けたものである。

(二) 今治詰の業務内容、労働条件

四阪工場今治詰の性格からして、その業務時間は今治、四阪間の船舶運航時間を中心にして考えざるを得ない。

今治、四阪間の船舶発着時刻は、第一便が今治九時五〇分着、一〇時発、第二便一五時五〇分着、一六時発、第三便一九時五〇分着、二〇時発であるので、船客の貨物の受渡し整理等により労働時間は、どうしても朝九時から夜九時までとならざるを得ない。

ところで、債務者会社は、昭和四九年四月一日より、従来の年間労働時間二、一〇〇時間、年間休日六五日から年間労働時間二、〇二二時間四五分、年間休日八六日とする時間短縮を実施したが、その際、労働組合との間で時短委員会を設置し協議した結果、監視断続業務については、時間短縮になじまないとの結論に達し、現在においても監視断続業務については時間短縮は行なつていない。

そうして、今治詰勤務の労働時間が前述したように一二時間とならざるを得ないため、債務者会社は、昭和五一年三月九日、四阪工場今治詰の管轄労働基準監督署である今治労働基準監督署に対し、断続的労働に従事する者に対する適用除外申請書を提出し、同月二二日これが許可となつたので、労働組合に対して断続業務ということで申入れを行ない了解された。

そして、労働組合への申入れによる協議結果、手当を五七八円から七四八円(債権者の月額増収は一万七、三九一円となる。)へ引き上げるよう別労組から要請されたので、債務者はこれを了解し、現在債権者に支給している。

以上のとおり、労働時間が一二時間におよぶのは、その業務の性格上の必要性にもとづくものであり、これについては労働基準監督署の許可ならびに労働組合の了解を得ているものである。

(三) 人選

債務者は「四阪工場勤務者の中から経験、伎倆身体条件および家族状況を勘案して、適格者を人選する。」ことを基本原則として人選にあたつたが、そのうちでも、今治詰の業務の内容から、貨物の受渡し、伝票の整理等きわめて事務的性格が強いこと、業務の実質的時間は五時間未満であるが、勤務時間が一二時間であるため経験において貨物の受渡し業務に精通していること、身体条件において壮健であること、四阪島住民への福祉面が強いので献身的な性格であることを主要なものとして人選した。

まず、事務能力の点から、四阪工場事務以外には適格者がいない。

そこで、事務には、資材倉庫六名、資材二名(内女子一名)操業四名、総務八名(内女子三名)、技術二名(内女子一名)、警備一〇名、詰所二名、作業三名、構外二名の計三九名(内女子五名)がいるが、その内、身体に障害のある者七名、病弱である者三名、警備員一〇名、大学卒二名、PTA会長一名、別労組製錬支部長一名、町議会議員一名、昭和五一年八月定年となる者一名の計二六名は不適である。そして、女子五名を除く残り八名については、内三名は町の業務代行者、経理担当、資材工事担当で余人をもつて替え難い者であり、残り五名中四名は年齢的に若すぎる。以上のようにみていくと、債権者以外の者は不適当とせざるを得ない。

他面、債権者は事務資材の担当として資材の受入業務等に従事しており、貨物の受入、伝票等の整理に精通しているし、四阪島の生活協同組合の仕事をしていた経験もあり、年齢的にも四阪住民のサービス的業務を行なうことにふさわしい。さらに、債権者自身今治詰勤務となることにより特に損われるような特殊技能を有していない。

右の理由から債務者は債権者が適格者であると考え今治詰勤務を命じたものである。

右に述べたとおりであつて、本件配転命令は四阪島住民のため債務者が直轄で行なわなければならない事情のもとで、労働組合との協議ならびに人選を慎重に行なつたうえで発したもので、債権者の主張するような思想、信条ならびに組合活動を嫌悪したことによるものではない。

7  申請の理由5は争う。

第三証拠関係〈省略〉

理由

第一当事者、本件配転命令

申請の理由1および2の事実は当事者間に争いがない。

第二不当労働行為の主張について

一  債権者の組合活動について

1  組合の組織

成立に争いのない疎乙第一号証によれば、債務者に関係ある組合として、最上部に住鉱連があり、これに債務者の各店所において組織された組合(別労組、佐々連鉱業労働組合、国富鉱業労働組合、鴻之舞鉱山労働組合、平瀬鉱山労働組合、住友金属鉱山東京労働組合、住友金属鉱山大阪労働組合)が加盟していること、そして、債務者内における組合員を代表する交渉団体としては住鉱連が唯一のものであり、各店所における組合員を代表する交渉団体としては右の各組合が唯一のものであることが債務者との間で確認されていること、債務者が労働協約の趣旨に則り会社業務を遂行するに当たり、組合員の自主的な協力によつてその円滑な運営をはかるため、住鉱連との間に中央労使協議会を、前述の組合との間に地方労使協議会を設け、その取扱事項として労働協約で定められたもののうち、中央労使協議会は会社全般或は二事業所以上に関連のある事項を、地方労使協議会は当該事業所に関連する事項をそれぞれ取り扱うことになつていることが一応認められる。

つぎに、債権者本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認められる疎甲第四〇号証、成立に争いのない疎乙第二、第三号証、証人大須賀匡の証言および同証言によつて真正に成立したものと認められる疎乙第一九号証によれば、別労組の組合員は、債務者会社別子事業所に雇傭されている者の内、係長代理および同相当格以上の職にある者、三か月未満の期間を定めて臨時に雇傭された者、嘱託として雇傭された者、人事、給与に関する調査、企画、雇入、解雇、異動の業務に従事している特定者を除いた全員等であること、別労組には、組合の役員として、執行委員長一名、書記長一名、執行委員(各部長)三名、会計監査委員二名が置かれ、代議員は後述の各支部の組合員数六〇名およびその端数三〇名以上につき一名の割合で選任される数を定数として置かれていること、別労組にはその運営を容易にするため支部(これは、その地区に限る労働条件に関する苦情の処理および代議員の選任を行なう単位である。)を設置していること、その支部として、端出場、選鉱、鉄道、工作、本館、保安、ニッケル、分析、電錬、海運、製錬、東予製錬、別鉱開発の一三があること、支部役員は、所属支部組合員一〇〇名以上の場合は三役(支部長、副支部長、書記長)、一〇〇名未満の場合は二役(支部長、書記長)とし、これが代議員を兼務すること、別労組には、青年婦人の教養文化向上をはかること等を目的とし、三〇歳までの男子と全女子組合員によつて構成される青年婦人部があり、その役員として、部長一名、副部長四名、委員若干名等が置かれていること、そして、前述のとおり団体交渉権を有するのは住鉱連およびこれに加盟している各組合だけであるから、別労組の支部段階での債務者会社との折衝は、交渉というよりもむしろ話合といつたものであり、公式には職場協議会という場で、地域的な問題(例えば、社宅の小修理、社員浴場の改良といつた程度のもので、時に、職場の人員配置などやや重大な問題にも及ぶ。)を話し合つて解決していること、支部書記長の職務は、正副支部長を補佐し、正副支部長に事故があるときはその職務を代行することにあるが、職場協議会の構成員でもあり、そのほか、組合員のこまごまとした意向を受けてそれを取捨選択し、債務者会社の窓口へ持ち込むといつたこと(そして、こまごまとした問題の多くは、この段階で解決している。)などであることが一応認められる。

2  債権者の組合活動等

(一) 債権者が、申請の理由4の(一)の(1)の(イ)の組合役職に就いていたことは当事者間に争いがない。

(二) 債権者本人尋問の結果および同供述によつて真正に成立したものと認められる疎甲第一号証、成立に争いのない疎甲第七号証、同第八号証の一ないし二一、証人藤岡邦博の証言および同証言によつて真正に成立したものと認められる疎甲第三三号証、前掲疎甲第四〇号証および弁論の全趣旨によれば、以下の事実を一応認めることができ、右認定を左右するに足る疎明資料はない。

(1) 債務者会社から昭和三八年にいわゆる合理化案が提案された際に、当時の住鉱連委員長が四阪島に赴き、同島の全組合員集会において組合員の意見を聴取した時、債権者は、合理化の白紙撤回を要求すべき旨の主張を訴えた(が、結局、住鉱連の闘争方針は条件闘争ということに決まつた。)。

(2) 昭和四二年ころ、四阪工場の製錬としてはニッケル鎔錬と銅鎔錬とが操業されていたが、その鎔鉱炉、転炉から排出されるガス等によつて喉の痛みを訴えたり、ぜんそくに罹つたと思われる人が生じたので、債権者は、社宅を回つてぜんそく患者や喉の痛みを訴える者の数や症状を調査したり、別子病院四阪島分院の看護婦にぜんそく患者や喉の痛みを訴える者の数の調査を依頼するなどして、その結果を別労組代議員総会において発表し、別労組として対策をとるように要求した。

(3) 昭和四二年九月、別労組青年婦人部長、別労組製錬支部青年婦人部長になつたころから、青年婦人間でのサークル活動を指導した(そして、その延長として、四阪島での労演サークルの結成、労音サークルの再結成に努力した。)。

(4) 債権者が組合専従であつた昭和四四年四月、当時別労組製錬支部青年婦人部で発行されていた「製錬情報」の日刊紙化を決め、後に名称を「日刊せいれん」と改め、(右「日刊せいれん」の存在自体は当事者間に争いがない。)債権者は、その編集、発行を指導するなどした。そして、「日刊せいれん」は、債権者が専従を終え職場に復帰する昭和四七年八月末まで毎日発行された。

(5) 債権者は、昭和四四年六月ころに債務者が独身寮にカウンセラーを設置することを提案した際、これが債務者の「青年を骨ぬきにする手」であるとして、同月一六日付の「製錬情報」に労働基準法第九四条等を引用して設置に対する反論を展開するなどしてこれに反対した。

(6) 昭和四五年から四六年にかけての職場の編成変えに伴う人員の異動につき、支部執行部と債務者との間で話合がもたれることとなつたが、債権者は、支部執行委員会において、支部執行委員は合理化対策委員や該当支部委員の意見を聴取したうえで、これを反映して債務者との話合に臨むべき旨の主張をなし、同委員会において右主張が受け入れられた。

(7) 債権者は、昭和四七年八月、昭和四九年八月、昭和五一年八月の組合役員選挙に立候補した(うち、前二者については当事者間に争いがない。)。

(8) 昭和四七年八月の支部役員選挙に敗れて職場に復帰することとなつた時、債務者からは原職ではない保全係事務所検査班で勤務すべく取り扱われようとしたが、労働協約に定められている原職復帰の原則に則り、当時の支部書記長に右原則を貫く立場で債務者と話し合うよう求め、結局、原職に復帰した。

(9) 債権者は、製錬支部書記長在任中、職場協議会において、労働者側の委員として発言するほか、職場協議会にすらかからない日常の問題について債務者と話し合つてその解決に当たり、なお、前記組合役員在職中はもとより、その座を離れた後も、労働者の地位の向上を強く願い、自己の信条(なお、債権者は昭和三八年ころ、共産党に入党)に従つた言動を続けている。

3  右2の(二)に掲記の各証拠、証人山口茂の証言および同証言によつて真正に成立したものと認められる疎甲第二〇号証の二、四、同第二八号、証人加藤勝俊の証言および同証言によつて真正に成立したものと認められる疎甲第三四号証によると、

(一) 債権者の右2に認定した各活動に関連して、以下のとおりの、干渉もしくは妨害と目されるような行為や措置が存したことが一応認められ、証人大須賀匡の証言中、右認定に反する証言部分は容易に信用できず、他に右認定を左右するに足る疎明資料はない。

(1) ぜんそく患者等に関する債権者の前述の調査に協力した看護婦が、その後、別子病院本院に配置換えとなつた。

(2) 当初は、雨天時における「日刊せいれん」の配布を構内の会社建物の軒下で行なつていたところ、後になつて、構内での配布が禁じられた。

(3) 労音、労演の活動に対しては、「アカの集まりだ。」などと云うデマが流された。

(4) 昭和四七年八月に行なわれた支部役員選挙において債権者が書記長に立候補したところ、組合員に対し、「山本は共産党だ。」「共産党は会社をつぶすのが目的だ。」「選挙管理委員を握つているので、誰に投票したかわかるぞ。」等といつたことや、対立候補者への投票するようなことが告げられ、また、投票台に設けられていた段ボールの仕切りが、選挙管理委員らの手で取り除けられたりした。

(5) 続いて行なわれた支部委員の選挙においても、組合員に対し、「山本には投票するな。」「山本は共産党だ。」などと云つたことが告げられた。

(6) 昭和四八年三月、支部委員であつた矢野文敏が東京へ転出し、これに伴い右(5)の委員選挙で次点であつた債権者が繰り上げ当選となる時期に、債権者に対して保全係倉庫への異動命令が出され、繰り上げ当選ができなくなつた。

(7) 昭和四九年四月、事務資材に配置換えになり、渕本事務係長の許に辞令を受け取りに赴いた際、同係長から、「君の従前の活動内容はわかつている。今後派手に活動しないように。」と告げられた。

(8) 昭和四九年五月、債権者の上司である加藤千尋係員が、債権者に対し、「(君の昇給が低いのは)組合活動とかその他の活動に問題があるのだ。」「共産党はいかん。考える必要があるのではないか。」「八月の役員選挙に出るのか。どのポストに出るのか。」などと言つた。

(9) 昭和四九年八月初旬、役員選挙の一週間くらい前、調査係鈴木敦美が、勤務時間中に、会社から時間をもらつて来ていると言つて債権者に対し、「今度の役員選挙に出るのか。この前(昭和四七年八月)の役員選挙のようなまずいことが出てくる。お互い話し合つて対立候補を出さないでやつたらどうか。」「会社あつての我々だ。とにかくお互い話し合つてスムースに役員選挙を選べば混乱は起こらない。」「君は共産主義の思想をもつているが、会社では通用しない。君の将来のために立候補しない方が良いのではないか。」などと言つた。

(10) 昭和四九年八月の支部役員選挙においては、債権者の居宅の周囲に見張りがついたりし、また、投票時の監視も厳しかつた。

(11) 昭和五一年八月の支部役員選挙(債権者は支部長に立候補した。)においては、各職場において、職場推薦署名がなされ、これに署名しない者が呼びつけられて署名を迫られたり、債権者の配布するビラを受け取るなとの指示が出されたり、債権者が社宅でビラ配りをするのに尾行や張込がなされたりし、投票時には、アベック投票やグループ投票(いずれも複数の者が一緒に投票に行くこと。そうすることにより、互いに投票の内容を知ることができた。)が行なわれた。

(二) 債権者以外の者の選挙活動に対しても、次のような妨害、対抗策が採られたことが一応認められ、右認定を覆すに足りる疎明資料はない。

(1) 共産党員であり端出場勤務の山口茂が昭和四八年、昭和四九年に別労組役員選挙に立候補した際、ビラを持つて社宅回りをするとこれを張り番したり、同人が債権者とともに四阪島でビラ配りをすると債務者の警備員が尾行したり、反共、反山口の宣伝がなされると云つたことがあつた。

(2) 山口茂が昭和五一年別労組書記長に立候補した際、同人が選挙運動のため使用していた社宅等に張込、監視がつき、同人の行動について尾行がなされたり、同人の(或は日本共産党の)ビラ受取拒否の動きがあつたり、配布したビラが職場で回収されることがあつたり、投票をグループで行なう方法が採られたりした。この時、さらに、不明の者が、山口茂配布のビラに落書を書き込んでそれを同人宛に封書で送付したり、同人や同人の支持者宅に深夜いやがらせの電話をかけたり、購入していない物品を送り届ける手続をしたりした。

(3) 昭和五一年八月に行なわれた分析支部の役員選挙において、債権者の支持者である加藤勝俊が支部長に立候補したのに対して、同人の対立候補を当選させる目的で、職場に「明るい分析を作る会」が結成され、同会の事務局長は勤務時間中に別労組役員選挙の候補者名を記した垂れ幕を作つたり、同会の決起集会の準備のため勤務時間中の女子従業員を使つたりしたが、これに対して、債務者は注意を与えなかつた。

4  ところで、債権者は、右3で認定した干渉もしくは妨害と目されるような行為や措置は、いずれも債務者が(職制を通じて)なしたものであると主張する。

(一) しかし、3の(一)の(1)の看護婦の配置換えについては、本件の疎明資料によつては病院側の配置換えに関する事情が不明であるため、債権者の公害調査に協力したことを理由に、債務者が病院側に働きかけたことによりなされたものと認めることはできないし、同(6)の矢野文敏の転勤に伴う債権者の配転については、後述(第三の四の1)のとおりであつて、債権者の繰り上げ当選を妨害する目的でなされたものと認めることはできない。

(二) 次に、3の(一)および(二)のうち、各選挙に際しての妨害等と目される行為について、前掲疎甲第一号証、同第二〇号証の二、証人山口茂の証言および債権者本人尋問の結果中には、右行為は、平素組合活動をしていない(下級)職制によつてなされたものであることにより、債務者のなした行為といえる旨の記載、供述部分が存する。そして、前記妨害等と目される行為の態様や後記(第三)のように債務者は共産党員の活動を快く思つていなかつたこと等に照らすと、前記妨害等と目される行為の中(例えば、構内での「日刊せいれん」配布の禁止など)には債務者の意向も加わつていたとの疑いが存することは否定できない。しかし、他面、右各証拠や前掲疎乙第二号証によると、右行為をなしたという(下級)職制の多くは組合員としての地位(中には、対立候補者としての地位)にもある(従つて、前記別労組の組合員の資格要件からして、債務者との意思疎通は必ずしも密接とはいえない。)こと、組合役員選挙の施行および管理は組合規約等に基づき組合が主体となつて行なうものである(しかるが故に、山口茂は、前記妨害等と目される行為に関し、別労組執行委員会と選挙管理委員会に抗議および善処方を申し入れている。)ことが認められること等に照らすと、組合内部における主導権争いが加熱した挙句の行動とみられる面も多分にあり、結局、債務者の指示或は意を受けた行動と認めることはできないといわざるを得ない。

二  今治詰設置の必要性とその人選とについて

1  今治詰設置の必要性(設置までの経過)等

前掲疎甲第四〇号証、証人飯忠悟の証言および同証言によつて真正に成立したものと認められる疎乙第四号証、第六号証、証人大須賀匡の証言および同証言によつて真正に成立したものと認められる疎乙第五号証、同第八号証、前掲疎乙第一九号証、証人越智久隆の証言および同証言によつて真正に成立したものと認められる疎乙第二二号証、債権者本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、今治詰設置の必要性等について以下の事実を一応認めることができ、右認定に反する前掲疎甲第四〇号証の記載部分、証人藤岡邦博の証言部分は措信せず、他に右認定を覆すに足りる疎明資料はない。

(一) 四阪島は今治市、新居浜市から沖合各二〇キロメートルの瀬戸内海燧灘に位置し、債務者の四阪工場がある。債務者は、船舶「みのしま」を所有し、その運航を惣開商運株式会社に委託していた。「みのしま」は、島民の生活物資の一部を運搬し、島民の唯一の足であり、その乗船料は、債務者関係者については部外者に比し極めて低額とされていて債務者会社の福利厚生制度の一環としての役割を果たしていた。

(二) 右の債務者と惣開商運株式会社との間の契約は、主として「みのしま」の運航に関するものであつて、港での貨物の受渡に関する乗務については、債務者はこれを申請外会社吉忠に委託して行なつてきていた。

ところが、申請外会社吉忠の右業務の経営は、昭和三七年ころから赤字が出るようになつたため、同社は、昭和四四年ころには債務者に対し代理店業務の解約の申入れをしたが、慰留の要請を受け、同年夏からは赤字補填のため毎月相当額の補償金を受けることによつて代理店業務を続け、右補償金の額も逐次増額されていつた。しかし、その後も荷扱量は激減し人件費が嵩んで経営内容は好転せず、昭和五〇年には一か月に平均して一〇数万円の赤字が累積してゆくようになつたため、同社は同年一一月五日付の書面をもつて債務者に対して昭和五一年三月末日限り委託契約を解約する旨の申入をなした。債務者は、右申入に関して補償金の若干の増額によつて契約を更新しようとしたが、交渉はまとまらず、結局、右の申入を受諾せざるを得なくなつた。

(三) そこで、債務者は、申請外会社吉忠に替る業者として右業務を日本通運株式会社に委託しようとしたが断られ、昭和五二年二月に至り、四阪工場の余剰人員対策の意味合いをも含めて、四阪工場において直接業務を行なうこととし、ここに、今治詰を新たに設置して、これに四阪工場の従業員を充てることにした。

(四) かくて、債務者は、住鉱連との間の労働協約に基づいて、昭和五一年三月一一日もたれた地方労使協議会において、別労組に対して、「みのしま」回漕店業務の四阪移管について協議を申し入れた。右の協議内容は、申請外会社吉忠に委託していた「みのしま」回漕業務を四阪工場に移管することにし、それを昭和五一年四月一日から実施すること、業務内容は、「みのしま」発着時の綱取り、貨物の荷受け、積込、荷揚げ、運送ならびにこれらに関する事務その他附帯作業とすること、今治詰には従業員一名とパート一名とを配置し、その勤務は、監視、断続業場とし、勤務時間は午前九時から午後九時まで、年間公休数は六五日の指定公休制とすること、今治詰勤務者について、特殊勤務手当の等級Dを支給すること、人選については、現四阪工場勤務者の中から、経験、伎倆、身体条件および家族状況を勘案して、適格者を人選し別途に決定すること(右勤務時間、指定公休日数および人選基準の内容については当事者間に争いがない。)などが主たるものであつた。

これに対して、別労組からは、三月一七日、特殊勤務手当の等級を債務者案のDからCへと格上げすべきだとの意思が表明されたが、その余の点については債務者案を了解するとの回答がなされ、特殊勤務手当の等級については、債務者が組合の要望どおりCへと格上げする旨の回答を三月一八日になし、今治詰にする協議は成立した。

(五) ところで、港での貨物の受渡に関する業務の内容であるが、債務者が申請外会社吉忠に委託していた契約内容では具体的には以下のようなものであつた。

(1) 荷受け(例えば、一般依頼者から貨物運搬の依頼を受け付け、送り状を四部作成し、一部を控として今治事務所に保管し、一部を預り状として依頼者に渡し、二部を四阪島事務所へ送付する。運賃を徴収する。)

(2) 発送(例えば、四阪島に貨物を送る場合には、今治事務所から今治桟橋まで運搬し、「みのしま」に積み込む。積み残し分は事務所に保管する。四阪島から送られてきた貨物は、今治桟橋から今治事務所まで運搬し、日本運輸又は名鉄運輸のトラック便に依頼して配達する。)

(3) 積み荷、揚げ荷(「みのしま」発着時に貨物を積み卸しする。)

(4) 綱取り(「みのしま」発着時に、係留索のかけ外しをする。)

(5) その他(前日に作成した送り状を朝のうちに整理し、午前中に関係先に送付する。毎日の乗船人員数報告書を作成し、一〇日に一回今治港事務所に提出する。毎月末締めで入出荷計算書を作成し、翌月五日ころまでに惣開商運株式会社に提出する。「みのしま」欠航時には、関係先に連絡するとともに所轄官庁へ届出手続きを行なう。)

しかし、事実上は、荷受けの際には、送り状を一部作成し、それを「みのしま」に積んで発送するだけで良い(ただ、その内容を三部作成する積荷運賃明細目録に記入し、その一部を「みのしま」に積んで発送し、積荷運賃明細目録の一日分の小計を毎日「みのしま」運賃計算書に記載し、一か月分をまとめて合計しこれを惣開商運株式会社に発送する。)といつた具合に、或程度簡略化された取扱になつてはいた。

2  今治詰勤務者の人選

成立に争いのない甲第三号証の一、証人大須賀匡の証言によつて真正に成立したものと認められる疎乙第一一号証、前掲疎乙第一九号証、同第二二号証、証人大須賀匡、同越智久隆の各証言によれば、以下の事実を一応認めることができ、右認定を覆すに足る疎明資料はない。

(一) 債務者は、別労組との協議において大綱が了解された三月一七日ころから前述の人選基準に基づいて人選に移り、とくに、事務能力のあること、身体強健なこと、四阪島の特質を十分理解し島民サービスに徹しうることを重視して人選することとし、四阪工場勤務者の中でも対象を事務勤務者に限定し(四阪工場勤務者は事務勤務者と現場勤務者とに分別されるが、現場勤務者の中には事務経験者が殆んどいないばかりか、現場勤務者は事務能力の点で一般的に適格性を欠くことが考慮された。)消去法によつて、女子、身体障害者、身体虚弱者、町議会議員、別労組製錬支部長、PTA会長、余人を以ては替え難い職務担当者、定年間近の者などの不適格者を順次排除してゆくと債権者と、他に四名の者が候補者として一応残つたが、右四名のうち二名は高校定期採用者(高校定期採用者の場合、高校との関係維持のために通常は本件のような配転からは外している。)であつたり、健康保険事務担当者であつたり、結婚後間がない者であつたり、子供の出産後間がない者であつたりした事情があつたのに対し、債権者は倉庫受払事務に就いて約三年間の経験を積んでいるので定型的な事務作業は一通り遂行できること、スポーツマンで平素の出勤状況からみると身体的条件においても適格性を有していること、性格も比較的几帳面で島民へのサービスを怠ることがないと期待がもてること、債権者の同居家族は妻と学齢前の子供二人であつたこと、債権者は専門的技能を有していないため、債権者を配転することによつて元の職場がたちまち困るということがなく、債権者にとつても失うものがないことの状況にあつたので、右の検討の結果、債権者が最も適任者であると判断した。

(二) そこで、債務者は、右人選結果に基づき、債権者に対して昭和五一年三月一九日今治詰を命ずる旨の内示をなし、同月二二日には、労働協約にもとづいて別労組に対して債権者の異動につき諮問をなした。

(三) 債権者は、右内示を受けた際、これに応じ難い旨の意思を表明すると共に、別労組に対し、左記要旨の拒絶理由を記した同月二三日付の書面を発送して、善処方を要請した。

(1) 債権者は昭和一六年七月三一日四阪島に生まれて以来今日まで四阪島で育ち、四阪島で働いてきたし、将来もそれを願つており、債務者との労働契約も当然四阪島の業務に従事することを内容としているものと考えるし、今治詰における労働条件も問題点があると考える。

(2) 適格者を選ぶについては、今治市に自宅を持ち、今治詰勤務を希望する者がいるはずである。

(3) 債権者は従前組合の各種役員を歴任し、役員選挙にも立候補し、役員になつてないときでも一活動家として活動を続けてきたものであり、配転されると組合活動上の権利に著しい不利益がもたらされ、不当労働行為に該当すると考える。

(4) 債権者は昭和三八年に日本共産党に入党以来職場の共産党員と労働組合の強化発展を願つて一貫して闘争してきたが、そのために債務者から不当な差別や反共攻撃を受けてきた。昭和五二年二月の宮窪町の町長および町議補選にも共産党公認候補として立候補を予定しているが、今回の配転によつてそれができなくなる。今回の配転は、共産党員である債権者の政治活動を嫌悪する均等待遇(労働基準法第三条)違反の差別扱いである。

(四) 別労組は、同月二五日執行委員会を開き、右債権者の要望書について討議した結果、債権者の前記主張事由のうち、(1)の事由は心情としては理解できるが、過去における組合員転勤の実績を考慮すると、債務者との折衝の場で転勤を客観的に不当とする根拠にはし難い。(2)の事由は当然の考え方であるから、組合としても採りあげる。(3)および(4)については、組合員はそれぞれ願望や人生観を持つており、債務者との折衝の場においては反対理由として通用し難いとの結論に達し、同日もたれた債務者との折衝の過程で、適格者の人選については業務遂行上の観点よりも、本人の生活環境や家庭生活の面を十分考慮して再考慮し、人選のやり直しをしてもらいたい旨の申し入れをした。

(五) 右申し入れを受けた債務者は、人選につき再検討を加えたが、結局、前記の事由で、債権者を最適格者とする結論は変らなかつた(なお、債務者の知る限り、今治詰への転勤を希望する者が二名いたが、事務能力や年齢((定年間近では余剰人員対策とならない。))の点から考えるといずれも適格性を欠く者であつた。)ので、翌二六日にそのことを別労組に伝え、別労組は、諮問の性格上やむを得ないと考え、折衝は打ち切られ、ここに本件配転命令がなされるに至つた。

(六) なお、債務者と別労組との折衝の結果は、別労組から債権者に電話により伝達された。

三  新たな合理化案の発表

成立に争いのなの疎甲第四、第五号証、同第二六号証、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる疎乙第一三号証によれば、昭和五一年三月三一日に開かれた中央労使協議会および地方労使協議会において、債務者から、債務者会社佐々連鉱業所の縮小合理化案およびそれに伴う退職者優遇措置の実施についての協議方の申入がなされ、交渉の結果、同年七月八日、債務者と住鉱連との間において、一般退職者優遇措置および就職斡旋による退職者優遇措置について協定が成立したことが一応認められる。

四  総合判断

以上一および三で検討したところによると、債権者は、昭和三六年九月に別労組製錬支部青年婦人部職場委員となつたのを初めとして、以後昭和四七年八月までの長期間にわたつて、同製錬支部執行委員等各種役職に就き、熱心に組合活動に従事し、その後も、労働者の地位向上を図りたいとの熱意は変らず、一組合員として活発な発言等を続け、組合役員選挙には再三立候補してきたこと、(共産党員である)債権者らに対してなされた干渉等と目される行為の中には、債務者の指示或は意を受けてなされたのではないかとの疑いの存するものもあること、本件配転命令の五日後に、債務者から新たな合理化案が発表されていることといつた事情は存するが、他面、債権者は昭和四七年九月からは組合の役職に就いていないため、職場協議会を通じて債務者側と直接の折衝をなすことのできる地位になかつたこと、本件配転命令直後の合理化の実施は、一職場の一組合員の活発な意見開陳によつて左右されるものではないこと、今治詰設置には充分な理由が認められ、なお後記第四のとおり人選基準についても不明確、不当な点は認め難いこと等の事情をもあわせ考えると、本件配転命令が、(共産党員である)債権者が熱心な組合活動をしたため、若しくは債務者が組合の選管に対し支配介入するためになされたものとは推認することはできない。

従つて、債権者の不当労働行為の主張は採用できない。

第三思想、信条に基づく差別だとの主張について

一  債権者の思想、信条

前掲疎甲第一号証および弁論の全趣旨によれば、債権者は昭和三六年四月日本民主青年同盟に加盟し、昭和三八年日本共産党に入党し今日に至つていること、債権者は「労働組合とは、本来、思想、信条の異なる労働者が、その社会的経済的地位の向上という共通の目的で団結した組織であるから、会社の干渉や介入をはね返し、労働者の利益を守る立場をつらぬかなければならない。」との確信を有していることが一応認められる。

二  債務者の社員教育について

前掲疎乙第一号証、成立に争いのない疎甲第一三号証の一、同第一四号証の一、二、同第一五号証、同第一六号証の一ないし四、証人大河内一郎の証言とこれによつて真正に成立したものと認められる疎甲第一七号証、成立に争いのない疎乙第二一号証、証人大須賀匡の証言によれば、次の事実を一応認めることができ、右認定を覆すに足りる疎明資料はない。

1  昭和四一年一一月から、極東事情研究会の主催する若年労働者指導講習会に現場の職制や労務担当者を順次参加させるようになつた(現在も参加させているか否かは分明でない。)。昭和四二年六月に行なわれた右講習会においては、「左翼陣営の新しい戦略体制とその戦術」「日共・民青同の職場、独身寮、新入社員工作の実体とその戦術」「労音、労演、新体連運動と日共、民青同の関連とその実体」等が説明されたほか、これらを踏まえての総合的対策としての「働く産業人の立場からする共産主義批判の仕方」「職場、組合、独身寮に左翼サークルの動きがある場合、いかに対処するか」等の講座があり、さらに、労使双方担当者の体験発表と参加者による共同研究がなされた。

2  債務者会社の各店所の新任職制などを集めての集合教育や別子事業所でなされた集合教育においても、労使協調路線が推奨された。

債務者は、昭和四二、四三年ころ、通信教育によつて監督者基礎教育を実施することを立案し、監督者(受者)に交付する教材として、「監督者と労使関係ほか」「現代の社会制度と社会思想」「特別事例研究」と講題するパンフレット等を作成し、これらの中で、「これからの労使関係は、その基調を労使の相互依存と相互信頼関係の維持向上におくことにより、労使協力の実をあげていくものでなくてはいけないと考えます。」としたり、日本民主青年同盟のことを取り上げ、「民青同はなぜ問題にしなければならないか」を説明したり、「民青同などは、よそのことと考えずに常々万全の注意を払い共産主義思想から青少年を守り、ひいては共産主義から企業を守り、企業の安定発展、労働者の明るい豊かな暮しを実現するよう努力してゆかねばなりません。」と論じたりしている。

3  別子事業所においては、昭和四二年一一月所長以下課長(代理)までを集めて労使関係討論会がもたれ、右討論会の席上、労使関係安定化のための当面の方策として、監督者教育を推進すべしとの課題が提起された。右の意向を受けて、監督者教育推進委員会が設置され、数回の討議の後、同委員会は昭和四三年三月二五日答申書を提出した。この答申書の中では、監督教育の目的として、「監督者層に対し、第一線の監督者の使命と役割の自覚を喚起すると共に、明朗にして規律正しい職場を目指して、その中核的存在たらしめ」、「進展する企業環境や当社の実態について広い視野を与えると共に、これに対処するこれからの正しい労働運動について認識を変革せしめ、当所の労使関係の健全化に寄与する。」等のことを掲げている。

そうして、答申書に基づいて、別子事業所総務部人事課は、昭和四三年五月一五日、監督者教育実施案を作成した。

4  債務者は昭和四一年六月ころから、職員の中で共産党員と目される者等については、同人らの行動等を記入したB5版大のカードを作成していたが、債権者についても右カードが作成されていた。

三  共産党員である債権者がこれまで活発な組合活動等をなしてきたこと、これに対して干渉と目されるような行為が加えられたこと、およびそれと債務者との関係については第二の一の2ないし4で検討したとおりである。

更に、前掲疎甲第一号証、同第三三号証、証人藤岡邦博の証言によれば、債権者が昭和五〇年四月に施行された宮窪町議会議員選挙に日本共産党公認で立候補し(この点は当事者間に争いがない。)、その選挙運動をしていた際、「山本は二〇票ぐらいしかとれん。」「当選しても落選しても他へとばす。」等のデマや噂が流されたり、債権者の選挙事務所(社宅)が監視され、右事務所へ応援に来ていた従業員が翌朝出勤すると、(下級)職制から「昨夜、山本の家へ行つたろが。お前のためにならんぞ。」と言われたりしたことが一応認められる。しかしながら、債務者会社の企業外での町議会議員選挙における右デマや噂が債務者によつて流されたと認めるに足りる疎明資料はなく、右(下級)職制の言辞等によつては、債務者が債権者の右選挙運動を妨害したと認めるには十分ではなく、他にこれを認めるに足りる疎明資料はない。

なお、債権者が昭和五二年二月に施行される宮窪町議会議員補欠選挙に日本共産党の公認のもとに立候補する決意をしてその手続きを終え、準備活動を進めていた事実を債務者が了知していたことは、これを認めるに足りる疎明資料がない。

四  本件配転命令以外の差別待遇の主張について

1  債権者は、過去においても思想、信条によつて差別されて配転されてきた旨主張する。

(一) 債権者が申請の理由1の(二)に記載のとおりの配置換えをされてきたことは当事者間に争いがないところ、前掲疎甲第四〇号証、債権者本人尋問の結果中には、右配置換えが不当なものであつたかのような記載および供述部分が存するが、右記載および供述部分は次の疎明資料に対比して容易に信用できず、他に右配置換えが債権者の思想、信条によつて差別されたものであることを認めるに足りる疎明資料はない。

(二) かえつて、前掲疎乙第一九号証、成立に争いのない同第二四号証の一ないし六、証人大須賀国の証言、債権者本人尋問の結果によれば、債権者の過去の配転の理由、配転時の債務者会社側の事情として、債務者は、試験雇の期間が終わつた債権者を常雇として採用するに際し、債権者の希望も聴取したうえで、技能をもたない債権者に技能を習得させるため、まず工作係のうち修理工場の製缶工として配置し、債権者が現場修理の手伝い程度ができるようになつた段階で現場修理に転出させたこと、現場修理は、銅鎔錬、ニッケル鎔錬、硫酸、運搬の四班に分かれており、直製手当がつく班とつかない班とがあつたため、右手当の支給を受ける機会を均等に保障するため、その中で相互に人員の異動がなされていたこと、そして、昭和四二年に至つて現場修理の組織改正が行なわれて簡素化されたこと、昭和四八年初期は、四阪工場が縮小される段階にあつて、四阪島外への転出や長期応援出張などが相次ぎ、四阪工場内でも、配転、職種変更など余剰人員の吸収策が進められていた時期であつて、この時期に債権者は保全係(旧工作係)倉庫に転出したこと、その後、保全係倉庫が事務(資材倉庫)に吸収統合される組織改正がなされた結果、債権者が事務として勤務することになつたこと、以上の事実を一応認めることができ、右認定事実によると、債権者の過去の配置換えは、いずれも債権者の思想、信条にかかわりなく、債務者の業務上の必要性からなされたものと一応認めることができる。

2  また、債権者は、債務者は債権者以外の共産党員に対して配転での差別扱いをしている旨主張し、証人山口茂の証言中には、組合活動家や共産主義の思想をもつ者に対して、一般的に見て不利益といえる取扱いがなされた事例に関する証言部分があるけれども、右証言部分のみによつては、右債権者主張事実を認めるに充分(疑いがないわけではない。)でなく、他に右主張を認めるに足りる疎明資料はない。

3  さらに、債権者は、債務者は共産党員ということを理由にして昇給、賞与の面で差別し、債権者については昇給を常に最低にとどめるなどの差別をしてきた旨主張し、証人加藤勝俊の証言中には、右主張の一部に沿う証言部分があるけれども、右の証言部分のみではいまだ右主張事実を認めるには足らず、他に右主張事実を認めるに足る疎明資料はない(不当労働行為の主張に対する判断において認定した(下級)職制の発言中には、債権者の昇給が低いのは債権者の思想が原因している旨の発言があるが、右の発言内容が真実か否かは分明でない。)。

五  総合判断

以上一ないし三で検討したところによると、債務者は共産主義思想の持主を嫌つており、同主義の持主である債権者の言動を快く思つていなかつたことは一応認めることができ、過去において、同主義の持主の従業員に対して差別扱いをしたことの疑いが全くないわけではないが、第二の二で認定した今治詰設置の必要性や人選経過をも彼此勘案すると、本件配転命令が債権者の思想、信条を理由とする差別的取扱いを主たる目的としてなされたものであると推認することはできない。

第四権利の濫用の主張について

一  本件配転命令が権利の濫用となる根拠として、債権者が主張する事由について検討する。

1  債権者が、四阪島に生まれて以来同島に居住し、債務者会社に入社後も本件配転命令がなされるまでの間、四阪工場で勤務していたことは当事者間に争いがなく、前掲疎甲第一号証、成立に争いのない疎乙第二五号証、証人大須賀匡の証言、債権者本人尋問の結果を総合すると、本件配転命令がなされた当時、債権者(三四歳)は妻と子供二人(五歳と三歳)の四人で四阪島の債務者の社宅に居住していた(債権者の母は新居浜市の十全乳児園に勤務していて別居していた。)ことが一応認められる。

2  債権者は、債務者との労働契約に当り、配転命令に応じる旨の包括的同意を与えていなかつた旨主張する。しかし、成立に争いのない疎乙第一四号証、同第二三号証、証人大須賀匡の証言を総合すると、債務者と債権者との間に、昭和三五年五月一日労働契約が締結され、この労働契約では、債権者は就業規則に定める労働条件によつて労務を提供することになつており、その就業規則には「業務上必要があるときは、転勤または転職を命ずることがある。」と規定していることが一応認められ、右認定事実によると、債権者は債務者に対し、労務提供の場所や提供すべき労務の内容について、包括的な変更権を与えたものというべきであり、債権者の右主張は採用できない。

3  次に、今治詰設置の必要性、その人選基準とそれに基づく人選経過、今治詰の労働条件等については、不当労働行為の主張に対する判断(第二の二)において述べたとおりであるところ、

(一) 債権者は、前記の「現四阪工場勤務者の中から経験、伎倆、身体条件および家族状況を勘案して適格者を人選する。」旨の人選基準は不明確である旨主張する。しかし、右人選基準はやや抽象的ではあるけれども(基準としての性質上、或程度抽象的となることはやむを得ない。)決して不明確であるとはいえない。

(二) また、債権者は、右人選基準として「経験、伎倆」を掲げているのが不当である旨主張するが、およそ、配置換えをする際に、その職場の職務内容を遂行するにふさわしい経験と伎倆を有しているかどうかを人選基準とすることは当然なことであつて、何ら不当とはいえない。

そして、今治詰の業務内容は前認定のとおりであつて、事実上或程度簡略化されているとは言うものの、なお積荷運賃明細目録や現金出納帳の記帳等をしなければならないのであるから、債務者が具体的人選に当つて事務能力の有無を考慮したからといつて不当とはいえないし、前認定の現場勤務者の実態のもとでは、人選対象を事務勤務者に絞つたことがあながち不当であるとは言えない。

また、債権者は、債務者が具体的人選に当つて、身体条件を考慮した点に関し、今治詰の勤務は右の考慮が必要なほど過重な肉体労働ではない旨主張する(その反面、今治詰勤務は奴隷的扱いで疲労困憊する旨の主張をもしている点は理解に苦しむ。)が、前述の今治詰の労務内容(なお、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき疎乙第七号証および証人大須賀匡の証言によると、前述の今治詰の労働条件に関しては、労働基準法第四一条第三号の許可が得られてある。)に照らすと、身体条件を考慮することはむしろ当然のことであつて、何ら不当ではない。

(三) 次に、債権者は、債務者が今治詰設置の件を組合に提案してから、本件配転命令が債権者に内示されるまでの間は僅か一週間しか経過していないので公平かつ慎重な人選がなされたとは思えず、また債権者の同意を得るについて真摯な努力がなされていない旨主張する。前述の人選経過に照らすと、債務者が直接債権者に対し、同意を得るための努力をしたものとは認め難いが、債権者および債務者の各意向は別労組を通じて検討されており、公平かつ慎重な人選がなされなかつたものとはいえない。

(四) 次に、債権者は、これまで債務者においては、合理化や新会社設立の場合以外には、四級以下の従業員(債権者は六級)を四阪島から外部の勤務先へ配転したことがなかつた(のに、債権者に対して本件配転命令を出した。)旨主張する。

なるほど、前掲疎甲第四〇号証、証人大須賀匡の証言によつて真正に成立したものと認められる疎乙第一五号証、前掲疎乙第一九号証、証人大須賀匡の証言、債権者本人尋問の結果によれば、昭和四五年二月から昭和五一年五月までの間に四阪工場勤務の四級以下の従業員でも相当数が、東予製錬所(西条市)、輸送課、分析課、ニッケル課、STF(以上、いずれも新居浜市)、中央研究所(千葉県)、電子金属事業部(東京都)、核燃料工場(茨城県)等へ転出させられているものの、その多くは、東予製錬所の設立に伴う異動と四阪工場縮小時の異動であることが一応認められる。しかしながら、前掲疎乙第一五号証によれば、右の時期以外にも、四級以下の従業員の四阪島外への異動はなされていたことが一応認められるので、本件配転命令が特異なものであるとは言い難い。

さらに、前掲疎乙第一九号証、証人大須賀匡の証言によれば、四阪工場においては、かつて弓削島詰、小大下島詰の前例があり、これはいずれも一人職場であつたことが一応認められる。

二  以上検討したところによると、四阪島で出生して以後四阪島のみで生活し、将来ともそれを願つていた債権者にとつて、他地への転勤は、転勤先がたとえ教育、文化、医療等について四阪島より優れている今治市であつたとしても、多大な精神的負担がかかるであろうことは容易に推認することができ、その面のみから考察すると本件配転命令は好ましいものではなく、また、債務者が人選に当つて家族状況を考慮した際に、妻と二人だけの者について、結婚後間もないといつた事由で同人を人選対象者から消去したことについては疑問視されるべき点もないではないが、適格者としてのその余の諸条件についての債務者の判断は一応これを首肯することができ、人選についての諸般の点を総合すると、本件配転命令が、債務者の裁量の範囲を逸脱し、権利の濫用にあたるものとは認め難い。

第五結論

以上説示してきた通りであつて、債権者主張の被保全権利について、結局、これを認めるに足る疎明資料がないことに帰し、その余について判断するまでもなく、債権者の本件申請は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 出嵜正清 宗哲朗 山崎宏)

(別表省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例